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春になったのに肌寒い…
そんな日が繰り返されているうちに、雨が降り、空気が湿り気を含み、猫も丸から長く伸びるようになりました。新緑から深緑の季節へ、季節は私たちに気付かれないように静かに、移っていくのですね。
“気まぐれ日記”と言い訳しているものの、気付くと二ヵ月が経っていて、驚きました。何人かの方から、メールを頂き、有り難いなと感謝しながら、私が日記をなかなか書けないのはなぜだろうと、少し考えました。
一つには、あんな考え方もある、こんな考え方もある、と考えていると、一つの文章にできなくなってしまうこと。「思い」はいつも多面的なのに、それを文字にすると、どうしても「一つ」になってしまうのが、自分の文章力も含めて、つくづく難しいと感じてしまいます。
そしてもう一つは、その瞬間瞬間(ときどき)にたくさん感じても、一日は24時間もあって、1440分もあって、86400秒もある…。昨日の夕食でさえ、思い出すのにしばらく時間がかかるのに、ふと感じたこと、思ったこと、笑ったこと、泣いたこと、あまりにも多過ぎて、例えば日記を前に、表現しようとすると、全部空白になってしまうのです。特に私は、いつの頃からか、過ぎたことは「忘れる」ことになっているし、なのに、しなくてはならない事は「覚えていなくては」という強迫観念に駆られていたり、いつも頭の中が回転しているようで、瞬間の思いを記憶して留めるというのは、至難の技…という気がします。
現代がせわしないから…という言い訳もできますが、結局は、私がせわしないから、なのかもしれません。
そうこうしているうちに、夏が近づいてきました。夏の前に、梅雨がやってくるのですね。鎌倉の梅雨は、特に湿り気が多く、部屋の除湿器も稼働しっぱなしになります。でも今の雨は、まだまだ可愛くて、しっとりとしていて、光に向かって進んでいるように感じられます。
寒さの厳しい一月はいつまでもいつまでも続く気がしますが、二月は、あと少し待てば春風が、と待ち焦がれ、ようやく少しあたたかな香りがしたと思うと、いつもより何日か少なかったことを忘れ、あっという間に過ぎてしまいます。気付けばもう三月。三寒四温のことばのように、身体から少しづつ、緊張がとけていくこの頃。
「香り」といえば、私は香水が好きで、季節によって、服装によって、気分によって選ぶのが楽しみ。ちょっとそこまで出掛けるにもひとふり。忘れるとその日一日そわそわしてしまうほどでした。それよりも前、アロマオイルにも興味を持って、いくつか試してみたことがありますが、いつの間にかその座は、手軽に沢山の香りを楽しめる香水に代わっていました。
ところが先日、近くまで出掛け、少しの荷物を持っていただけなのに、いつも五分の道を、三十分ぐらいかかるのではと思うほどの疲労が襲ってきました。まるで重力が十倍にもなったようで…。このまま果てしなく帰り着かないような気がして。
そんな時たまたま、アロマオイルや花のエッセンスを置いてあるお店を見掛けて、何気なく、ドアを開けてみました。小さな小さなお店でしたが、入ると全体が淡く、ハーブの香り。静かに流れるBGMを背に、小さな瓶の、様々なオイルが並んでいました。お店の方は、テーブルの奥、すぐそこに居るのに、決して声を掛けてくることはなく、ゆっくりと自分の時間を持つことができます。リラックスしたい時、リフレッシュしたい時、集中したいとき…。そういえば昔、こんな小さな瓶をいくつか揃えた事もあった、と思いながら。
自然の香りを、日常の生活に、さりげなく取り入れることができたらいいな、などと想像しながら一通り眺めて、また今度入ろうと、その日は扉を開けました。そして外に出て数歩歩いたとき、自分の足取りが軽くなっていることに気が付きました。
静かな空間、静かな香り、静かな時間の流れ。感動や刺激や楽しみではなく、癒し。その言葉が流行ってからもう久しくなりますが、人にとって、静かなひとときはいつもどこか影で必要なのだと実感した一瞬でした。
香水は香水の楽しみ。静かなアロマの香りも、もう少し深く知ってみたいな、と思い始める今日この頃です。
まだまだ冷え込む日が続き、寒さの苦手な私は、部屋から部屋への移動にも力が入ってしまいます。
このホームページのBBSへの不要な書き込みが増え、更に不明な書き込みが現れてしまって、残念ながらBBSは一時停止としましたが、その後、メールを頂いた方々には、この場を借りて感謝の気持ちを申し上げたいと思います。
こんなに更新の遅いページなのに、根気よく訪れて下さり、メッセージを頂き、本当に嬉しく思っています。お返事がなかなか出来ないことが心苦しいのですが、有り難く拝読しております。
そしてまた、コンサートやその他いろいろな場面で、本当に、様々な方に助けられ、生きている、と心から感謝するこの頃です。
迷惑を掛けてしまう…その事に非常な負担を感じて、これまで、できる限り自分の中で片付けようとしていましたが、気付けば周りの方々は本当にあたたかく、時には甘えてしまうことも、それほど重い罪ではないのだと認識。私には、音楽をすることと、あとほんの少し、何かできるかもしれませんが、多くの事において無力な私が常にできるのは、感謝することだけです。
感謝して、何が生まれるのか…そんな事も、以前は考えたり考えなかったり。でも今は、進むことと想うこと。それだけで一杯です。
友人から、「月記が年記にならないように」と言われる間もなく、本当にその様な状態になりつつあるこの頃。気が付くともう年の瀬でした…。
とはいえ、普段から季節感の無い生活をしているため、あと何日でクリスマス、年末、という感覚もあまり無く、人の往来がせわしなくなっているのかどうかも、あまり記憶にありません。それでも、最近のクリスマスのイルミネーションは、色々な場所で楽しめて、冷たい空気に映えて、意識せずに気持ちが柔らかくなっている気がします。イルミネーションの輝きも、音楽も、人々は気付かないかもしれないけれど、ほっとできる…そんな存在なのかもしれません。
先週の今日、友人の死の知らせを受けました。
その電話は、友人自身の名前で、私の携帯に着信しました。取ると、声は彼女ではありませんでした。瞬時によぎる不吉な予感…それは、既に現実でした。私の家ではちょうど一日前、彼女から貰ったジャムの話をしていたところでした。
特に長かったり、小さい頃からだったり、頻繁に会ったりしているわけではありませんでした。でも、フランスに旅行に来たとき、パリから一緒に帰国したこともあったり、鎌倉の美味しいお店で、たまに何人かで楽しく会ったり、仕事の後に突然電話で相談を受けたり、そして、私の音楽をいつも、心から喜んで聴いてくれた友人の、あまりにも早過ぎる死。
彼女はいつも真摯で、明るくて、我慢強くて、一生懸命で……美化された思い出ではなく、本当にそうだったのです。
五月のイザイのリサイタルも、闘病中の身体をおして聴きにきてくれました。私はその時、会っていません。「あのコンサートに行かせてあげられて本当に良かった」と、ご家族から聞きました。彼女に、ほんの少しでも、永遠(とわ)の瞬間(とき)を提供することができたのであれば、と願っています。
病魔は、いとも簡単に、「いのち」を奪い去ることができる…。それは例え事故であったとしても、同じように簡単だっただろうと思います。「形あるいのち」は、こんなにも軽いものなのかという驚き。そうして、それに反比例するように、生きることは、重い。身体が最期に事切れるまで、どんなことがあっても私たちは皆、「生き」なければならないのです。それは、日常的に悩んだり、嘆いたり、考えたりすることと、比べものにならないほど、遥かに重いものの気がします。ただ「生きる」ということが。
彼女の死を、私は全然納得していません。現実的に考えると、「なぜあの時に」「どうしてこれが…」という思いが、終わりなく巡ります。運命を操作するなにものかへの恨みや無力感も、限りがありません。けれど、彼女という人を想うとき、こんなにも不条理なことなのに、なぜか怒りが生まれません。
そして、最期の姿を、この目で確かめても尚、不思議なくらい自然な形で、私の中で彼女の存在は終わっていません。パリの私の部屋に居たときの彼女の姿、鎌倉で届けものをしてくれた時の姿、あの時、この時……それらは、過去ではなく、思い出でもなく、時間を越えて私の中に「今」存在している…ということを、確かに感じます。
献花の時に流れていた音楽。それは、私のCDからでした。療養中、毎日聴いていると、メールでも送ってくれていました。それだけで、充分です。
私にとって、彼女は今でも、明るく、真摯で、一生懸命で、そして時々遊びにきてくれる、そんな存在であることに、何ら変わりはありません。
「いのち」よりも「生」よりも大切なもの…。彼女はそれを、あまりにも自然に、あまりにも身を以て、教えてくれました。それは私のみならず、他の全ての人々にとっても、同じように大切なものとして、永遠に心に刻まれることだと思います。
けれど…。そこまでしてくれなくてもよかった……と。一体誰が、どうして彼女にその使命を与えたのか、と。
日記が月記にならないように、せめて31日に書き込みを…との願いもむなしく、8月に突入しました。
日本の夏は、重い暑さが逃げ場の無い季節ですが、アスファルトの照り返しや、クーラーの屋外機もまた、気温上昇に一役も二役も買っていますね。木陰でもじっとりとした暑さの中、楽器を持って歩くときには、「暑くない暑くない」と思い込み作戦を使ってみますが、ヨーロッパの夏の朝晩を恋しく思う気持ちも忘れるほど、日本の太陽の柔らか強さは印象的です。
梅雨を迎えるころから、生命の活動も活発になってきて、昨年も同じ様な事を書いた気がしなくもありませんが…、先日夜中、天井に取り付けのライトの窪みから「カサカサ」と音がすると思ったら…、背中が緑色に輝くカナブンでした。
ぶんっ!と飛んで、カーテンレールに移動すると、そこを右へ左へ行ったり来たり、まさに、右往左往。これは困ったものだと、徹夜を覚悟で、彼(彼女?)を外へ出す作戦を捻る…。結果、長い網を持ってくるも、網ではなく持ち手側に彼を移動させ(「移動してね!」と念じ)、その竿を静かに動かし(「外に出すからびっくりして飛ばないでね!」と念じ)、細く開けた窓の隙間からそうっと出し(「そうそう、お利口お利口!」と安堵し)、事無きを得ました。
また、別の日、我が家の猫一匹が、夕方から夜中、冷蔵庫の目の前に腹ばいになり、下から覗きながら番をしていました。一体何が出てくるのかおびえながらも、どうする術もなく、一晩放っておきましたが、彼女は夜中に、何か獲物を獲得したのでしょうか…。
話題が突然飛びますが、携帯電話のソフトウェアの更新というのを初めてしました。コンピューターと違って、ソフトウェアがあるという事すら知りませんでしたが、ソフトウェアの更新中の画面は、今まで一度も見たことのないもので、可愛いものでした。小さな電話の中に、想像の及ばないほど沢山のものが詰め込まれている、と改めて関心してしまいます。
ようやく初夏がやって来たと思っていたら、いつの間にか梅雨が始まって知らない内に終わり、汗ばむ陽気にノースリーブを準備する頃、今日はまた肌寒い一日でした。そういえば明後日は七夕なのですね。
気まぐれ日記とはいえ、六月一ヶ月間、何も書き込まなかったというのは、我ながらびっくり。時間の経つのは速いものだとつくづく思います。
反面、昨日のことが遥か以前の様にも感じられるこの頃。一音一音に思いを込めるのと同じように、一瞬一瞬を、深呼吸をするように満喫すると、一日はどこまでも長くなり、永くなり、時間も季節も忘れてしまうようです。
昨年の今ごろは何をし、何を想っていたのか…思い出すことはできても、今それを実感することはできません。きっと必要もないのだろう、と。
季節はまるで同じように回っているのに、自分の思いが変わり、人々が変わり、風景が変わり、いつまで経っても、時を重ねても、一つとして同じことがないと思うとき、世の中に本当に時間軸があるのかどうか、私にはわかりません。
以前ひところ、ヨーグルトが流行っていた様な記憶があります。ヨーグルトではなくて、ビフィズス菌だったかもしれません…ヨーグルトきのこ、というのも聞いた気がします…。知っているつもりであやふやな知識が多いものです。
私はもともと、あまり乳製品には強くないため、牛乳やヨーグルトを進んで手に取ることはないのですが、先日たまたま練習前に、どういうわけかヨーグルトが欲しくなって、はちみつを入れたものを食べたところ、エネルギーの持続が良かったような気がしました。たまたまその日の体調が良かっただけなのか、それともはちみつエネルギーだったのかもしれませんが、以来、疲れの取れない朝にはヨーグルト、と勝手に信じてしまっています。
そうして気にしてみると、「これからの季節にも丁度合っているかもしれない」と楽しくなってきます。ブルーベリージャムを入れるのもいいかもしれない、シンプルにお砂糖でも美味しい、はちみつと混ぜるのも健康によいかもしれない…と、想像したりしてみます。集中したいけれど疲れた朝にはヨーグルト、です(笑)。
まるで初夏のような陽射し。
特に車を運転していると、風を切って走っている筈なのに、どんなに移動してもガラス越しの光はずっと差し込んで、もう夏かしら、と勘違いしてしまいます。
このところ、カルバン・クラインの「summer」が気に入っています。オレンジフルーツ色のボトルは、見ているだけでも元気になりますが、香りも柑橘系のすがすがしさに、ほんの少し甘く、まさに初夏にぴったり。そして私の場合、弓を大きく動かす度に香りが動き、ずっと弾き続けているときにも、気分がリフレッシュされます。
「香り」は、音楽と同じように、時間とともに消えていってしまいますが、与えられるエネルギーはあなどれないと思っています。パリに行って以来、香りを日常的にまとうのが楽しく、習慣になっていますが、その日の気分や服装によって種類も変わり、また、その香りから気分が変わることもあります。「ck one summer」は、普段着に合わせられて、いいお天気のお昼にぴったりな感じ。この夏私の「ちょっといい香り」になりそうです。
あたたかくなって、鮮やかな黄色の花が夏の影すら想わせるこの頃…と思っていた途端に、冬に逆戻り。そろそろ仕舞おうと思っていたウールのコートを慌てて出してくる始末です。
今年は花粉の飛散量が多かったという割に、私の花粉症状は軽く、助かりました。それでも、桜のつぼみが花をもう待ち切れないというころには、ティッシュの箱がいくつか(?)なくなりましたが、ちょっと気を引き締める事があればくしゃみも止まり気味だったので、本物の花粉症ではないのかしら、と思ったり。そして桜満開になり、明らかに空気に湿り気を感じられるようになると、もう春爛漫。先週末は、絶好のお花見日和でした。
私が今までに、陽の照る元で「お花見」をしたのは、記憶にある限り、一回。それも最近のことです。大抵は、何かの帰り、車窓から、たまに車を降りて、夜桜を愛でることが多く、すっかり夜桜派。静かな夜の空に浮かび上がる薄白く、ほのかなさくら色は、何度体験しても、何とも言えず、あたたかな神秘性を感じます。
自然から受けるインスピレーションは、本当に無限です。
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